【長崎】島原城 キリシタンの悲しい歴史と貴重な文化財が眠る城

日本100名城に選定されている島原城

島原城は1624年、江戸幕府3代将軍 徳川家光の時代に建てられました。

島原城は1637年の島原の乱での一揆軍の猛攻をしのいだだけでなく、日本の火山災害史上最大の悲劇と言われ、約15,000人が亡くなったとされる「島原大変(1792年)」の地震・噴火・津波にも耐えてきたそうです。

明治維新でいったん廃城・解体されましたが、その後復元されました。

城内は、250年にわたる島原藩の歴史遺産や、数々の貴重なキリシタン史料が展示してあるとのこと。

ちょうど息子が中学歴史でこの時代をやっていたこともあり、長崎に来たついでに寄ってみたのですが、教科書でしかみたことのなかった貴重な資料を見ることが出来ました。

キリスト教弾圧の歴史を伝える館内

日本に最初にキリスト教を伝えたサビエルの肖像画。1920年に大阪で発見された貴重な品だそうです。

『雲仙地獄の殉教図』
「地獄責め」と言われたキリスト教の棄教を脅迫された拷問の絵。島原地方のキリシタン弾圧の悲惨さを伝えています。

キリスト教信者を判別するための踏み絵。

『マリア観音像』
徳川時代、キリシタン信徒はこのように観音像に似せた聖母マリア像を礼拝し、表向きは仏教信者のように装っていたそうです。

こちらは蓮華座ですが、母子の彫り込みがあり、軸部に透かし彫りがされています。

軸部をよく見ると十字架が掘ってあります。ここまでして信仰を貫いていたのですね…。

一見、仏教の画に見えますが、マリア様を描いている『隠しマリア聖像』です。

こんな風にしなければ生きられなかった人々を思うと胸が痛みますね…。

島原の乱における一揆軍の最高指導者「天草四郎」像です。

自分の子とたいして年の差のない16歳の男の子が江戸幕府に立ち向かっていったのですから、どれだけの勇気とカリスマ性の持ち主だったかと想像します。

他の階では、島原の藩主・松平家の鎧などが展示されています。

ちなみに侍の鎧は以下の時間で貸し出しをしているみたいです。詳しくは1Fのスタッフにお尋ねください。

午前 10:00~12:00
午後 13:00~17:00

天守閣(5階)からは雲仙普賢岳が見えます。わかりにくいですが手前の山が眉山(まゆやま)です。

1792年(江戸後期)、先ほど述べた「島原大変」の大噴火で眉山が崩壊したのですが、それから200年後の雲仙普賢岳の噴火では今度は眉山が盾となり島原中心部が守られたそうです。

そして、右奥の山が1991年の噴火でできた平成新山です。

 

最後に気になったものをひとつ。「秘宝・カッパの手」と書いてあったのですが…笑。

ほんとにカッパなのかしら。仮にカッパじゃなかったとしたら何の動物‥‥?気になってます笑。

島原城そばの郷土料理「姫松屋」

島原城の入口の目の前にあるお店です。期待せず入ったのですが、メニューも豊富でおいしかったです。

お値段も手ごろです。

店内はこんな感じ。どこで食べたらいいかわからないときはこちらおすすめです。

この日は午後5時には閉店したので、営業時間はお店にご確認ください。0957-63-7272

島原城 アクセス

MEMO
  • 島原城
  • 〒855-0036 長崎県島原市城内1丁目1183-1
  • 開館時間: 9:00~17:30
  • 0957-62-4766
  • 入場料:大人550円 小・中・高生280円
  • 休館日:無休
  • 駐車料金 330円

島原城

島原城 駐車場

城のお堀にかかる橋をわたって城内に上がっていくと、広い駐車場があります。手前の入口で駐車料金を払います。(駐車料金/330円)

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