【八女市】星野川で川遊び!ホタルと石橋がシンボルの町「上陽町」

先日テレビに「八女市上陽町(じょうようまち)」という所が映っていて、すごく景色のいいところだったので出かけてみました。

星野川

訪れたのはこの辺り。

展示館「ほたると石橋の館」と、2連式アーチ型の眼鏡橋の「寄口橋」があるポイントです。

寄口橋

この寄口橋は大正9年(1920年)に建てられたもので、100年以上たった今でも現役で活躍しているのがすごいです。

10月ですが、この日はお天気がよくて少し暑かったので、川遊びをしている人がいました。

星野川が本当にきれいで。橋の上から見ても透明度がすごい。

少し離れたところでカヌー教室が行われていました。


橋の上からぐるっと回った動画です。(また早く回っちゃって気分悪くなるかもごめんなさい汗)

「ほたると石橋の館」と売店との間に、川へ下りられる階段があります。

※『ほたると石橋の里公園』側からも川に下りられますが、この時は工事中で通行禁止でした。

テラス席の休憩所の裏にこのような道があります。

岩がゴツゴツしてますが、なんとかテントをおけるみたいですね。

テントがなくても、対岸の石畳の階段に荷物など置けそうです。橋を渡った側からも川に下りられます。

この日は川は浅くて流れも穏やかでした。お子さんもリラックスして遊べそうです!

だけど浮き輪を使っているお子さんもいたので、足がつかないところもあるのでしょう。川と海ではやはりお子さんにライフジャケットは必須ですね。

女の子に水槽を見せてもらうと、あら~かわいい稚魚がいっぱい♡ 何の魚でしょう。

カエルちゃんもいました。

現在(2021.10月)、橋の片側で補修工事がされているため、工事が終わるまでこちら側の川は立ち入り禁止となっています。

公園利用のみなさまへ(公園看板より)

生態系やきれいな川を守るために以下が書いてありました。
①植物、生き物の採取の禁止
②BBQや花火、たき火の禁止
③犬のフンの後始末をする
④ごみを持ち帰る

ほたると石橋の館

星野川では、毎年5月末~6月上旬になるとゲンジボタルが乱舞することで知られています。

上陽町の人々の努力で川の水をきれいに保っているのだそうです。

館内ではホタルの生態をパネルで紹介したり、水槽でホタルの幼虫を飼っています。

ホタルをとても大切に思っていることが伝わってきます。

売店『茶彩館』・レストラン『さくら橋』

地域の直材を使った食べ物などが売られています。川遊びの季節は浮き輪やビーチサンダルも。

最高級煎茶「上陽茶」や、干し椎茸、粉茶ソフトクリーム、上陽米などが所狭しと並べられています。

気になったのは八女弁トランプとかっぱラーメン。いろんな味の塩を詰めたミニボトルセットは、キャンプにもって行ったら喜ばれそうですね。

隣は今年1月にオープンしたばかりの「レストラン さくら橋」があり、お弁当なども売ってます。

参考 レストランさくら橋

ほたると石橋の館(星野川) アクセス

MEMO

八女市公式サイト

星野川ーほたると石橋の館 駐車場

「ほたると石橋の館」駐車場

こちらは主に「ほたると石橋の館」と売店「茶彩館」のお客さん用だそうです。

長時間川遊びをされるときは「ほたると石橋の里公園駐車場」に停めてくださいと書いてありました。

星野川で遊ぶ方はこちらの駐車場

こちらが川遊びの人用の駐車場です。「ほたると石橋の里公園駐車場」(←クリックで地図が開きます)

公園と名前がついていますが、遊具はないです。

「ほたると石橋の館」の前にある石橋を渡らずに、手前を右に曲がるとすぐ駐車スペースがあります。

終わりに

ここまで車を走らせている途中もちょいちょい石橋を見かけました。

後で知ったのですが、八女って石橋が多いことで知られているんですね。

赤枠は今はない石橋 ※クリックで拡大します。

八女市周辺でこんなにありました。

全部で48基あり、そのうち5基が「水害」で流失。1基は「平成27年に撤去予定」とあったので、もうないかもしれません。

八女に石橋が多くある理由

もらった資料を読むとこんなことが書いてありました。

むかしは木の橋だったらしいのですが、洪水のたびに橋が流されるため、村民がお金を出し合い「洪水にも流されない耐久性のある石橋を作って欲しい」と役場へお願いしたのだそうです。

自分でお金を出してもいいと思うくらい、八女は長年洪水に悩まされてきた土地だったのですね…。

「橋本勘五郎」出典:シリーズ 熊本偉人伝 Vol.30

明治26年、その熱意を受けた「橋本勘五郎」が大勢の種山石工集団を引き連れ、八女の地を訪れ、地元の石工たちを指導しました。

今、八女に残っている石橋のほとんどは、彼らによって、明治から大正にかけて架けられたものだそうです。

 

そこで先ほどの橋の写真を見て改めて思うのは、48基の石橋のうち、100年あまりで洪水で流れたのは5基のみというすごさです。

しかも資料を見ると、その流された5基はすべて、平成24年の水害によるものした。

細かな補修などはあったかもしれませんが、少なくとも平成24年まではすべての橋が落橋せず残っていたと思うと、石橋の技術の高さに驚きますし、橋本勘五郎がいかに八女の土地に貢献したかわかります。

 

勘五郎は76歳で亡くなったのですが、驚いたことにこの石橋の施工を引き受けた時、すでに70歳を超えていたそうです。

70歳にもなって、こんなスケールの大きい、しかも責任の重い仕事など、わたしなら受けたいとは思いません。

立派な人だなぁ…。

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